白溶裔の帯

映画「姑獲鳥の夏」が公開されたと知ったのは公開日の七月一六日で、確かその一週間後の二十三日、東京で震度五強の地震があった日に観に行こうかと思いついた覚えがある。しかし結局映画を観る気がせず、次の日から分厚い本を携えて布団に転がる夜が続いた。

姑獲鳥の夏」から順に読み進んで「塗仏の宴」を先程読み終えた。手元の本の帯には「宴の支度は整いました。/お待たせしました!最新刊!!」と書かれている。別に本自身に価値を見出している訳ではない。小説をテキストファイルで読めるのならそれでもいいと思っているくらいだ。しかし何故か帯が付いている。理由は分からない。多分気にもしてなかったのだろう。

しかし最後の頁の次を捲ると日付に目を引かれた。「一九九八年九月二〇日 第一刷発行」と書いてある。もう七年も経っている。ということは「陰摩羅鬼の瑕」はとうの昔に世に出ているはずだ。検索する。二〇〇三年八月八日が発行日だ。

いつの間にか私にとって「陰摩羅鬼の瑕」は「何時までも出ない最新刊」という妖怪のような存在になっていたのだ。珍しく捨てずにとってある、と云うよりただくっついていた帯がそう思わせたのか。

本屋では何度も京極夏彦の本を探していたはずである。しかし私には「見えていなかった」のだ。まるで胡乱な小説家のように。私の中に何か封印していることでもあるのか。それとも白溶裔*1の仕業か。



・・・おちねえ。

*1:「しろうねり」と読む。京極風にタイトルをつけてみた。僕の部屋が汚いだけで大した意味はない。 http://www8.plala.or.jp/feedingspot/shirouneri.html