ひさしぶり、さようなら、はじめまして、上田現

中学の友達RYO君が、元LÄ-PPISCHの上田現さんが亡くなったことと追悼ライブがあることを教えてくれて、今日一緒に行ってきた。なんていうか、異様な感じがした。LÄ-PPISCHのノリのいい曲ではみんな立ち上がってノリノリなんだけど、まだ亡くなった実感が持てないというELEの演奏なんかはすごい勢いでガンガンなんだけど鬼気迫るというかすごかった。アンコール前の終幕では拍手が出るまで中野サンプラザを30秒以上の沈黙が包んだ。

高校生のときLÄ-PPISCHが好きだったんだけど、いつの間にか聞かなくなっていた。今日久しぶりに聞いたLÄ-PPISCHの曲はやっぱり面白いし、毒があって楽しかった。元ちとせの歌もすごかった。川村結花という人は初めて知ったんだけど、彼女は上田現さんへの沢山の気持ちを語る言葉の中で「また出会える」という表現をしたことが印象に残った。

僕は彼女と上田現さんの関係を全然知らないけどなんとなく分かるような気がした。上田現さんの死という出来事を通して現さんとこれまでと違った向き合い方ができるという意味なのかなと勝手に思った。新たな向き合い方をするのは死じゃなくてもできるような気がするんだけど、実際話したことのある人との関係を自分一人でリセットするようなことは難しい。それに親しければ親しいほど、いなくなったということを受け入れるために故人との関係を見直すことが必要になるのかもしれない。

僕の祖父が亡くなったとき、幸せな死ってなんだろうって考えた。自分の親しい人たちが皆幸せに暮らしていけるような、それを確信できるような状況を自分も一緒になって作っていけたこととかが幸せな死には重要なのかなって気がする。もちろん病気の身体的、心理的苦痛があったらそれどころじゃないかもしれないし、生きるか死ぬかっていう状況だったら幸せなんて考えてる暇はないと思う。

自分が死ぬなら、そのとき自分の親しい人たちに大きな不安や諍いはない方がいい。特に自分の子どもがいたら彼ら彼女らの将来を心配しながら死にたくないと思う。笑って死ぬのが最高だと思う。難しいだろうけどね。どうやってそういう状況を作るのか、そんなことを思うと、いい死に方をするにはどうやって生きていくのかをマジで考えないといけないなって思いました。

そんなことを考えたライブの後、ギラギラと「何か面白いことをやりたい」と語ってくれたRYO君の話はすごく面白かった。相変わらず人懐っこい笑顔でモテそうな同い年の彼は、少なくとも老後とか死とか大雑把な区切りでしか考えていない僕より中長期的なスパンで仕事とかを考えていることがすごく勉強になったよ。僕はまだまだ短絡的にしか物事考えてないなー。

話がそれちゃいましたけど、最後に上田現さん、今頃かもしれないけど、あなたの作った曲や詩が僕に大きな影響を与えたことは間違いないです。ありがとうございました。ご冥福をお祈り致します。